大判例

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仙台地方裁判所 平成4年(行ウ)13号 判決

原告

甲山春一

右法定代理人親権者

甲山A男

甲山B子

原告

乙村夏男

右法定代理人親権者

乙村C雄

乙村D子

原告

丙川秋郎

右法定代理人親権者

丙川E太郎

丙川F子

原告

丁野冬二

右法定代理人親権者

丁野G子

原告ら訴訟代理人弁護士

庄司捷彦

犬飼健郎

馬場亨

増田祥

門間久美子

村松敦子

内田正之

小島妙子

坂野智憲

小泉清則

佐藤美砂

被告

宮城県河南高等学校長

佐々木武夫

右訴訟代理人弁護士

佐藤唯人

斉藤睦男

主文

一  原告甲山春一の請求を棄却する。

二  被告の原告乙村夏男、同丙川秋郎及び同丁野冬二に対する平成四年七月三一日付け退学処分をいずれも取り消す。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告甲山春一の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告の原告らに対する平成四年七月三一日付け退学処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、いずれも被告が平成三年三月実施した入学試験に合格し、同年四月、宮城県河南高等学校(以下「河南高校」という。)に入学し、平成四年八月二二日(以下月日のみを表記した場合は、平成四年の月日を表す。)当時、同校の第二学年に在学していたものである。

2  被告は、八月二二日、原告らをいずれも七月三一日付けで退学処分(以下「本件退学処分」という。)に付した。

3  しかしながら、本件退学処分は、次の理由により違法である。

(一) 実体的違法

高等学校の生徒に対する懲戒処分は、その教育活動の一環として行われるものであるから、懲戒処分を行うについては、当該生徒のした行為が懲戒に値するものであるかどうか、懲戒処分としていずれを選ぶべきかの判断は、当該行為の軽重のみならず、それが他の生徒に及ぼす影響、当該生徒の性格、平素の行状、懲戒処分の本人及び他の生徒に及ぼす訓戒的効果など、諸般の事情を総合考慮する必要があり、とりわけ退学処分は、他の処分と異なり、生徒の身分を剥奪する重大なものであるから、当該生徒に改善の見込がなく、学校外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って許されるべきものである。

(1) 原告乙村、同丙川及び同丁野については、そもそもその処分の対象とされた一学年の秋山良男(以下「良男」という。)に対するいじめに関与した事実はなく、本件退学処分は、存在しない事実に基づくものとして違法である。

(2) 原告甲山については、処分事由とされた良男に対するいじめ、暴行等の具体的内容につき事実誤認があり、かつ、原告甲山が中学から高校一年まで四年間無欠席の参加意欲の高い誠実な少年であること、明るく素直でユーモアのある責任感の強い性格であり、河南高校においてもリーダー的存在として次期生徒会長候補とまで目されていた生徒であったこと及びこれまで取り立てて問題行動を起こしたことがないことなどの事情を総合考慮すると、停学処分あるいは保護者の呼び出し等によって十分改善の余地があったと認められるので、本件退学処分は、裁量権の濫用として違法である。

(二) 手続的違法

(1) 懲戒処分を行う前提としての事実の調査においては、憲法三一条、一三条及び憲法全体の構造から導かれる法治主義の観点から、教育機関として相応しい適正手続が要請され、これに違反した場合には、懲戒処分は違法となる。

被告は、原告らに対する事情聴取をするに当たって、原告らを個別に呼び出し、複数の教師が取り調べるという威圧した調査方法をとり、その調査は長時間に亘り監禁した状態で行い、原告らに対して髪の毛を引っ張り腹を蹴るなどの暴行を加え、事件への関与を否定する者に対しては「ふざけるな。」「うそつくな。」などと大声を浴びせ、また、「他の八人は認めている、おまえもやったと言っている。」などの虚言を用いて誘導し、自白させた。

また、本件退学処分前になされた原告らからの事実調査は、期間が四日間で短く不十分であった上、六月一日には、原告丁野を除く原告らと本件いじめに関与したとされる訴外五名の生徒が「やっていないことはやっていないと言おう。」と相談し、職員室へその旨申し出たのみならず、原告らが自宅謹慎を伝えられ、また自主退学の勧告を受けている期間中に、原告ら及びその保護者が、直接にあるいは弁護士を通じて、被告に事実の再調査を求めたにもかかわらず、被告は、事実の再調査を実施せず、原告らに十分な弁明の機会を与えなかった。

したがって、本件退学処分は、その前提として行われた事実調査が適正手続の要請に反するから、違法である。

(3) 被告は、本件退学処分を告知する際、処分事由たる具体的事実の摘示、説示をすることなく単に「学則第四章第一九条第二項第四号及び学校教育法施行規則第一三条第三項第四号」と条文を読み上げるに止まった。これは、被処分者が異議申立てをする場合の利益を考慮しない方法であるから、本件退学処分は、理由不備の処分として違法である。

(三) 処分の不均衡・不公正

(1) 被告は、本件いじめについて、原告らの具体的な関与の方法、程度等を明らかにしないまま原告らを退学処分に付したが、原告ら以外の被処分者五名を無期停学処分に、原告ら四名を退学処分に付するについて、合理性を欠き、被処分者相互間に不平等が存し、不公正であるから、本件退学処分は違法である。

(2) 被告は、本件いじめに関与したとされた者九名に対し自宅謹慎を伝えた際、「反省資料」と題する用紙を交付したところ、無期停学処分に付した者に対してはそれを提出させて後に復学を許可しているが、原告らに対してはその提出を求めないまま退学処分に付した。これは、処分に至る手続において差別的取扱があり、原告らに対する自宅謹慎処分の教育的効果を考慮しないもので、不公正であるから、本件退学処分は違法である。

4  以上のとおり、被告の原告らに対する本件退学処分はいずれも違法であるから、原告らはその取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2  同3のうち、原告らを個別に呼び出し、複数の教師が取り調べたこと、一部の生徒につき事情聴取が長時間に亘ったこと、本件退学処分告知の際、その根拠として単に「学則第四章第一九条第二項第四号及び学校教育法施行規則第一三条第三項第四号」と読み上げられたことは認め、その余は否認ないし争う。

三  被告の主張

被告が原告らを本件退学処分に付した経緯は、次のとおりである。

1  河南高校の校内の状況

河南高校においては、約一〇年前までは、校内における喫煙、上級生の下級生に対する威圧・暴力・金銭強要・いじめ、器物損壊のほか、授業時間になっても教室に入らないなどの問題があったが、教諭、保護者及び生徒が一体となって、その改善に取り組んだ結果、その後問題もほとんどなくなり、生徒らが安心して学校生活を送ることができる学校として、地域の信頼も高まってきていた。

2  いじめの発覚の経緯

平成四年五月二九日、当時一年七組の生徒であった良男の母親からクラスの担任に対して電話があり、良男が学校で暴行を受け続けていて、「転校したい。」とか、「学校へ行きたくない。」と言っていることが知らされ、いじめ事件の存在が明るみに出た。

3  学校側の事実関係の把握作業

(一) 被害生徒からの事情聴取

(1) クラス担任の家庭訪問

良男の母親からの右電話を受けて、クラス担任がその日のうちに良男宅を訪問し、良男及び母親から事情を聞いた。

右事情聴取の結果によると、良男は、長期間に亘り、原告甲山ほか二学年の生徒らから暴行を受けていたが、暴行の事実が明るみに出た場合の仕返しが怖かったため、家族や先生にも気づかれないようにできるだけ明るく振る舞っていたとのことであった。

(2) 学校における良男からの事情聴取

六月三日、翌四日の両日、六名の教諭が良男から詳しく事情を聞いた結果、良男から次のような事実が述べられた。

① 四月下旬ころ、校内にある武道館前のコンクリート通路において、原告甲山に後転倒立を強要され、嫌だと言ったところ、ストップウォッチの紐で首を絞められた。必死になって紐と首の間に指を入れて失神するのを防いだが、首に黒い痣ができた。

② 同じころ、柔道部部室で、原告甲山から拳と平手で一五発ぐらい殴られた。

③ 同じころ、柔道部の部活動の際、原告甲山に絞め技をかけられ、気絶したことが二度あった。また、原告甲山から竹刀で腕や腿を叩かれたこともあった。

④ 同じころ、休憩時間にトイレに行くため二年一組前ホールを歩いていたところ、原告甲山に立ったまま首を絞められ、気絶して倒れた。その際、原告甲山以外にも四人ないし六人ぐらいの生徒がおり、皆面白そうに笑っており、そのうちの何人かから蹴られた。

⑤ 同じころ、二年一組前ホールにおいて、原告甲山から横腹に膝蹴りを受けた。

⑥ 同じころ、原告甲山から喋り方をまねされて執拗にからかわれた。

⑦ 五月の連休明けから同月二七日までの間、二日に一度ぐらいの頻度で、二年一組前ホールにおいて、原告甲山や他の生徒から、殴られたり蹴られたりした。

⑧ 五月二七日の昼休み時間に、名前の知らない生徒に呼ばれ、二年一組前ホールに行くと、原告甲山ら生徒五、六名がいた。原告甲山から「気をつけしろ。先輩に何か言うことはないのか。挨拶しろ。」と言われたが、何を言ってよいのか分からなかったので、黙って首をかしげていたところ、原告甲山に右ホールの角の柱のところに連れていかれ、「気をつけして動くな。」と言われた。しかし、少し動いたところ、原告甲山に「動くなと言ったべ。」と言われて、原告甲山及び他の生徒らから「デコピン」(額を指で強くはじくこと)をされたり、原告甲山以外の生徒から平手で四発ぐらい殴られたりした。

「デコピン」を二〇発ぐらいされたころに、痛さのあまり我慢ができなくなり、「やめて下さい。」と叫んだが、さらに「デコピン」を五発ぐらいされたので、逃げようとしたところ、原告甲山にプラスチツク製のゴミ箱で二回ぐらい叩かれ、額が赤く腫れ上がった。

⑨ 以上のいじめや暴行のため、転校したい、学校へ行きたくない、加害生徒を殺してやりたいなどと思うほど悩み苦しんだ。

(二) 加害容疑のある生徒からの事情聴取

(1) 加害容疑のある原告ら四名と訴外五名の生徒に対し事情聴取が行われたが、原告らに対する事情聴取の日時及び場所等は、次のとおりである。

原告 月日 時刻・時間 場所 同席教諭

甲山 五月二九日 一二時四五分から約三〇分 応接室 数名

同日 一四時から約三〇分相談室 三名

五月三〇日 一〇時から約三〇分 尚友館和室 一名

乙村 五月二九日 一六時から約三〇分 職員室 一名

同日 一七時から約三〇分職員室・応接室 二名

同日 一九時から約三〇分相談室 二名

五月三〇日 一一時から約五時間 相談室 六名

六月二日 一五時から約一五分 尚友館和室 三名

丙川 五月三〇日 九時から約三時間 印刷室 五名

同日 一二時四〇分から約一時間 応接室 三名

同日 一四時から約一五分保健室 一名

丁野 五月三〇日 九時から約三〇分 相談室 三名

同日 九時三〇分から約三〇分 相談室 二名

同日 一二時から約二〇分相談室 二名

六月一日 一〇時から約四五分 応接室 一名

同日 一二時から約一時間応接室 三名

同日 一五時から約五分 応接室 一名

(2) 右事情聴取の場所、教諭数及び時間については、次のとおりである。

① 原告ら一人ごとに一部屋で事情を聴取したが、これは、事案の重大性にかんがみ、原告ら加害容疑のある生徒一人一人の認識を正確に把握するためであった。また、聴取場所の選定は、生徒がくつろいだ気分で気兼ねなく話ができるようにとの配慮のもとに行われた。

② 事情聴取は、教諭一人だけで行われたこともあるし、複数の教諭が同席して行われたこともあった。複数の教諭が同席したのは、事情聴取者の人員に余裕があり、記録係を用意できた場合、クラス担任が同席した場合、他の生徒からの事情聴取とのかけもちがされた場合等である。ただし、その全員が終始同席していたとは限らず、前記(1)に示した同席教諭数は、各時間帯で最も多くの教諭が居合わせていたときの人数である。

③ 聴取時間は、総じて一回約三〇分程度であつた。なお、原告乙村及び同丙川については、二時間を超えたことが各一回ずつあったが、適宜休息時間をとるなどして苦痛を与えることのないよう配慮した。

(3) 右事情聴取の方法は、次のとおりである。

① 事情聴取中に原告らに対し髪の毛を引っ張ったり、腹を蹴るなどの暴行や虚言を用いての誘導を行ったことはなく、生徒が質問をはぐらかそうとしたり、供述があいまいであったり、矛盾していたりしても、教諭は、辛抱強く事実を一つ一つ確認した。

② 他の生徒のことを目撃した事実を聴取する場合には、自分の見た事実や確信を持てる事柄についてだけ話し、想像や伝聞に亘ることは決して話さないよう念を押した上で事情聴取を行った。

③ 生徒が自分自身の関与事実を認めた場合には、何度も「それは君が本当にやった(見た)ことなんだな。」と確認しながら聴取を進めた。

④ 供述が他の生徒の供述や本人の従前の供述と矛盾する場合には、概ね次のように対応した。

イ 他の生徒の供述等との異同を指摘する。

ロ 指摘後もなお供述が食い違う場合には、不自然な点があればその旨指摘し、食い違いの理由を考えさせ、よく確認させる。

ハ それでもなお、自己の供述の正当性を主張するときには、そのまま記録し、若しくは、生徒本人にそのとおり「調査書」と題する用紙に記入させた。

⑤ 事情聴取を始める際、聴取中または聴取終了時に、原告らに適宜「調査書」に事実の内容と現在の気持ちについて書かせ、その内容について質疑応答を行い、その結果明確になったことも合わせて生徒本人に記入させた。

原告甲山、同乙村及び訴外五名の加害容疑のある生徒については、五月二九日の各人に対する第一回目の事情聴取の開始時に、個別に「調査書」を書かせているが、その時点では、学校側は未だ各生徒の供述の異同を把握しておらず、生徒各人がそれぞれの認識に基づいて「調査書」に記入した。また、五月三〇日朝の口裏合わせの事実が発覚した後も、右生徒らが事実として言い張る事柄は、たとえ口裏合わせに基づくものだと考えてもそのまま記載させた。

「調査書」については、生徒に署名を強制したことはなく、「これはじじつ(事実)です」などと記載させたこともない。

⑥ 教諭は、原告ら四名及び訴外一名の生徒の事情聴取中又は聴取終了時に、原告ら四名を含む九名の生徒が加えたいじめの内容を確認するために「事実確認一覧表」を作成した。作成に当たっては、各項目ごとに生徒らの確認を取りながら教諭が記入し、かつ、記入完了時にも生徒らに再確認をさせ、間違いがなければこれを確認する趣旨で「自分が見た事実です」と記載して署名するよう求めた。

(4) 事情聴取の経過及び結果並びに原告らの供述の変遷は、次のとおりである。

① 五月二九日(金曜日)

原告甲山、同乙村及び訴外五名の生徒からの事情聴取を行ったが、いずれもいじめに関与した事実を認めた。

原告甲山は、詳細に供述した。原告乙村は、「ちょうちょ」(両手足を持って全身を上下に振り、怖がらせること)をしたことと一ないし三発手を出したことを認めたが、途中で供述を変遷させたため、比較的聴取時間が長くなった。

なお、原告丙川及び同丁野は既に下校した後であったため、右両名に対する事情聴取は翌日に行われた。

② 五月三〇日(土曜日)

原告らは、登校中の列車内で、原告乙村、同丙川、同丁野等はいじめに関与していなかったとの虚偽の供述を行う旨の申合せ(いわゆる「口裏合わせ」)をしたため、始めのうち右原告三名の事情聴取は進捗しなかったが、前記のように慎重な方法で事情聴取を進めていった結果、原告らは、全員いじめへの関与と具体的な事実関係を認めた。

原告丙川については、初めての事情聴取であったこと、同人が当初関与を否認したため、同人の関与を肯定していた他の生徒からの事実を再確認する必要があったことなどの事情により、結果的に事情聴取が長時間に亘ることとなった。

③ 六月一日(月曜日)

一校時終了後、原告甲山、同乙村、同丙川及び訴外五名の加害容疑のある生徒らは、職員室を訪れ、全員がこぞっていじめへの関与を否定した。

学校側としては、慎重な上にも慎重に確認してきた事実が故なく否定されたといえる事態であったため、生徒らをまず職員室の前に整列させ、「いいか、学校をやめたい、転校したいというまでに心深く傷ついた生徒がいることは事実なのだ。それでもお前達は一旦やったと認めながら、していないというのか。申し訳ないとか、反省しているとかいう気持ちがないのか。」と話した上、さらに、いじめ事件に関与したものは座るようにと指示したところ、全員が座った。

そこで、教諭らが生徒らに説諭しようとしたところ、突然原告丙川一人が立ち上がり、「俺はやっていない。」と申し出たので、五月三〇日に同人の事情聴取をし、事件への関与を打ち明けられた山口聖教諭は、「どっちが本当なんだ。」と問いかけながら、足を上げ、一旦止めた後、ズックの裏で同人を押した。

別の教諭が、「事件に関与したと思う者はクラスへ戻るように。」と言ったところ、生徒らは各クラスへ戻ったが、原告丙川からはさらに詳しく話を聞く必要があると認められたので、同人を職員更衣室で待機させたところ、同人は、約一〇分後に無断で下校した。また、原告乙村と訴外一名の生徒も間もなく無断で下校した。

(三) 学校側が把握した事実の内容

本件いじめの被害者及び事件関係者から聴取した事情、六月二日に原告ら以外の加害容疑のある生徒から再度事情聴取し確認した事実、さらに、原告らの保護者から謝罪の申し出がなされたこと等の諸般の事情を総合して検討した結果、学校側としては、原告らが五月三〇日の時点で認めた事実が真実であるとの確信を深めた。かかる事実は、次のとおりである。

(1) 本件いじめの全貌

① 平成四年四月下旬ころ、柔道部に所属していた原告甲山は、当時一年生で同じく柔道部に所属していた良男に対し、同人が部活動に数回遅れてきたことを口実として、校内の武道館や柔道部部室において、倒立を強制したり、竹刀で欧打したり、ストップウォッチの紐で首を絞めたり、顔面を殴打したり、絞め技をかけて気絶させたりした。

② 原告甲山は、五月六日から同月二七日ころまでの間、二日に一度ぐらいの頻度で、二年一組前ホールにおいて、単独であるいは他の原告ら及び訴外五名の生徒と共に、良男に対し、絞め技をかけて気絶させたり、殴ったり、蹴ったり、「デコピン」や「ちょうちょ」を行ったりした。

③ 原告甲山以外の原告らは、五月六日から同月二七日ころまでの間、何回かに亘り、二年一組前ホールにおいて、原告甲山及び訴外五名の生徒と共に、良男に対し、殴ったり、「デコピン」や「ちょうちょ」を行ったりした。

(2) 各原告が良男に対して行ったいじめの内容及び回数

① 原告甲山

柔道の絞め技をかけて気絶させ(三回)、絞め技をかけ(多数回)、ストップウォッチの紐で痣が残るくらい首を絞め(一回)、殴打し(多数回、一回につき五、六発)、蹴り(多数回)、「ちょうちょ」(一回)及び「デコピン」(多数発)をし、その他良男の喋り方をまねて執拗にからかったり、倒立を強制したり、竹刀で殴打したりした。

② 原告乙村

殴打し(多数回、一回につき五、六発)、「ちょうちょ」(一回)及び「デコピン」(多数発)をした。

③ 原告丙川

殴打し(多数回、一回につき五、六発)、「ちょうちょ」(一回)をした。

④ 原告丁野

殴打し(多数回、一回につき五、六発)、「ちょうちょ」(一回)をした。

4  加害生徒らを懲戒処分に付するに至った経緯

(一) 処分決定に至るまでの措置

事件内容を把握した学校側は、原告らの登校をそのまま認めることは好ましくないと考え、原告甲山及び同丁野に対しては、クラス担任の教諭が六月一日に、原告乙村に対しては、学年主任の教諭及びクラス担任の教諭が翌二日に、それぞれ「指導上の参考資料(記入用紙)」、「自宅待機中の心得」及び「反省日誌(記入用紙)」を交付し、自宅待機を指示した。

なお、原告丙川は、同月一日無断早退し、翌二日以降も学校を休み、同人の母親からの電話連絡の際、クラス担任が不在であったり、学校からの連絡も留守のため連絡がとれなかったりして、自宅待機の指示はなされないままとなった。

(二) 職員会議の開催及び退学処分の決定

加害生徒らに対する処分を決定するために、六月三日から五日までの連続三日間、長時間に亘り職員会議が開催され、意見交換の結果を踏まえ、被告が処分を決定した。

処分の対象となった事実は、前記三の3の(三)の(1)及び(2)のとおりであり、原告らを退学処分にした理由は、次のとおりである。

(1) 退学処分事由

本件退学処分事由は、原告らが学校教育法一一条、学校教育法施行規則一三条三項四号、宮城県立高等学校学則二三条二項四号及び宮城県河南高等学校学則一九条二項四号にいう「学校の秩序を乱しその他生徒としての本分に反した者」に該当することである。

河南高校においては、「他人の痛みの分かる生徒作り」を生徒指導の重点目標の一つに掲げて、教職員、保護者、生徒が一体となって「真面目な生徒が安心して学校生活を送れる学校」を作り上げてきたところであるが、「他人の痛みの分かる」とは、他者の個性と人権を尊重することであって、他人を肉体的に痛めつけたり、「死にたい」「殺してやりたい」と思うまで精神的に追いつめるようなことは、右目標に反し、最小限度守られるべき「学校の秩序」を乱すものであり、「生徒の本分」に反するものである。原告らの前記処分の対象事実は、これに当たる。

(2) 退学処分を選択した理由

退学処分は、生徒を学校から追放する最終的な処分であるから、その発動には慎重でなければならず、他にこれを避けるための適当な方途があり、これによって学内の規律維持の目的の達成が見込まれるような場合には、直ちに退学処分を行うべきではない。しかし、原告らについては、次の事情から退学処分は不可避であった。

① 原告らに共通する事情

イ 原告らの行為は、生命にかかわるほど悪質、危険で、しかも長期間に亘るものであり、放置し得ないものであった。

ロ 原告らが良男に対して行ったいじめは、いずれも前回の各自の問題行動とそれに対する無期停学等の指導が行われて日の浅い時期に行われた。

ハ 被害者良男は、「死にたい」「加害者らを殺してやりたい」と思うほど肉体的にも精神的にも深く傷ついている一方、原告らは、日頃から集団で行動し、一般生徒に対し脅威を与える存在であることから、今後被害者である良男を守り、第二、第三の被害者の発生を防止することが必要であり、かつ急務であると考えられた。

ニ 原告らは、供述を二転三転させた上、口裏を合わせ、事実を隠蔽しようとし、反省、改善とは相反する態度をとった。

ホ 本件について、学校側が軽い処分で済ませたならば、原告らをますます増長させ、一般生徒に対する脅威と悪影響を回避できないと見込まれた。

ヘ 原告らは、本件以外にも、普段の学校生活において指導事項が多岐に亘り、教育の基盤が失われ、もはや指導の限界に達している。

② 原告甲山について

原告甲山は、本件いじめの中心人物であり、その行為内容は悪質なもので、人命にかかわるようないじめをくり返した。

また、原告甲山は、本件のわずか三か月前の平成四年一月にも、同級生がやめてくれと頼むのにもかかわらず、目の前が真っ暗になり気を失いそうになるまで同人の首を絞めるという問題行動を起こし、教諭から他人の痛みがもっと分かるようにならなければいけない旨の説諭を受けていたところであり、それにもかかわらず本件のごとく人命にかかわるようないじめを何度もくり返したのであり、放置すれば、第二、第三の被害者を作る恐れがあった。

③ 原告乙村について

原告乙村は、本件の約六か月前の平成三年一一月八日、トイレの出口付近ですれ違っただけの他の生徒に対し、「足を踏んだ」と言いがかりをつけ、同人の顔面を殴打して鼻を潰し、約二週間の入院手術を要する傷害を負わせ、無期停学処分を受けていたにもかかわらず、本件のごとき命にかかわるようないじめに荷担し、自らも暴力を振るって被害者をなぶりものにした。

また、原告乙村は、日常の学校生活においては、特異な服装、髪型、授業中の私語や居眠り、野球部の部活動においては、主審に対してふてぶてしい態度をとるなど、指導事項が多岐に亘り、指導を受けても改めようとする意識が希薄なため、何度も注意を受けていた。

④ 原告丙川について

原告丙川は、本件の約六か月前の平成三年一一月四日深夜、無免許運転の四〇〇ccの自動二輪車に同乗して集団暴走行為をし、パトカーの制止を振り切って逃走するという非行を行ったほか、この事件について行われた学校側の事情聴取に対しては、他の生徒が自供するまで白を切るという態度をとった。そして、この非行につき、無期停学処分を受けたにもかかわらず、本件のごとき命にかかわるようないじめに荷担し、自らも暴力を振るって被害者をなぶりものにした。

また、原告丙川は、右停学期間中に、家庭訪問をした教諭に喫煙を見つかり、心得違いについて厳しく指導され、日常の学校生活においても、欠席、遅刻が多く、特異な服装や髪型、髪の色、授業中の私語、ノートをとらないこと、弱い者に対する横柄さなど、指導事項が多岐に亘り、注意されても同じことを再三繰り返していた。

⑤ 原告丁野について

原告丁野は、本件の約四か月前である平成四年二月三日、他の生徒一名と共に、名前も顔もよく分からない生徒をトイレに連れ込み、他の生徒が暴行を加え、被害生徒が鼻血を大量に流しているところへさらに殴る蹴るなどの暴行を加え、また、この事実を隠蔽するため、床に溜った鼻血をモップで拭いて消したほか、学校側の事情聴取に対しては当初否認し、追及されてようやく事実を認めるという態度をとった。そして、この事件について無期停学の処分を受けたにもかかわらず、今回またもや名前も顔もよく分からない無抵抗の生徒に対し、さしたる理由もなく、他の生徒と一緒になって殴る蹴るなどのいじめを繰り返す行為に及び、前回の反省が全く窺えない状態にあった。

また、原告丁野は、日常の学校生活においても、服装のだらしなさが目立ち、感情の起伏が激しく、注意する教諭に対して横柄な態度をとるなど、素直に指導に従う姿勢が見られない生徒であった。

(三) 職員会議の経過

(1) 六月三日(一時間四五分)

生徒指導部及び二学年の教諭から、資料に基づき、事件の内容及び各加害生徒の学校内での様子やこれまでの指導歴等について説明がなされ、他の教諭から質疑がなされた。

(2) 六月四日(一時間三〇分)

前日に引き続き補足説明がなされ、質疑の後、処分原案が提示された。その内容は、原告ら四名についてはいずれも退学処分相当(ただし、依願退学を認める。)、その他の五名についてはいずれも無期停学処分相当というものであった。

(3) 六月五日(三時間四五分)

右処分原案をめぐる意見交換の後、被告は、右原案どおりとする決定を下した。

右意見交換においては、原告らにつき、もはや指導の限界に達しているとか、残り九〇〇余名の生徒のために落ち着いた環境を作ることを重視するべきであるなどの意見が述べられ、右結論は、全教諭によって支持された。

(四) 原告らに対する退学勧奨

被告の右決定に基づき、学校側は、六月一〇日、原告らに対し、退学を勧奨し、もし右勧奨に応じるならば、六月一六日ころまでに退学願を提出するように申し渡した。

(五) 原告らに対する退学処分の告知

原告らがいずれも退学勧奨に応じなかったため、被告は、八月二二日、原告らに対し、口頭で根拠規定を示して本件退学処分を告知した。

なお、その際に、被告は、「本年七月三一日付けをもって退学を命じます。」と述べたが、これは、原告らが八月になっても在籍していたことになると、第二期分の授業料を納付しなければならないことを考慮したためであった。

(六) 原告らに対する事実の説明

六月二日から七月一四日にかけて行われた原告ら本人及び保護者(あるいはその代理人)らと学校側との個別の話し合いの場において、学校側は、原告らが本件いじめに関与した事実を詳しく説明した。

5  加害生徒らの保護者及び関係者の動向

(一) 事件発覚直後の一般的動向

事件発覚直後である五月三一日、原告ら全員を含む加害容疑のある生徒及びその保護者が、良男宅に謝罪に行くため原告甲山宅に自主的に集まり、原告甲山と訴外二名の三家族が良男宅に謝罪に行った。

また、六月一日、加害容疑のある生徒九名のうち訴外一名の生徒を除く八名の生徒の保護者が来校したので、被告、教頭、生徒指導部長、二学年主任らが事件について説明をし、質疑に答えた。その際、生徒指導部長が来校の趣旨を質問したところ、右保護者らは、抗議ではなく謝罪に来た旨述べ、全員が頭を下げた。

(二) 事件発覚直後の個別的動向

原告丁野の母親は、退学処分ではなく無期停学処分ならば受けてもよいとの意思を表した。

原告乙村の母親は、来校して生徒指導部長に会った際、原告乙村が事件にかかわった事実を認めた。

(三) 退学勧奨に対する対応

原告甲山の保護者は、学校側の退学勧奨に対し、「家庭で相談の上結論を出したい。」と述べ、その後、定時制高校や専門学校に進路変更する手続について学校側に相談を持ちかけた。

原告甲山及び同丙川の保護者は、六月一一日の夜、クラス担任に対し、「明日退学願を提出する。」との電話連絡をし、在学証明書作成の依頼をした。

原告乙村の保護者は、学校側の退学勧奨に対し、その席上で、「分かりました。」と承諾する返事をした。

原告丁野の保護者は、学校側の退学勧奨に応じなかった。

その後、六月一三日ころから、他の原告ら三名も退学勧奨に応じられないとの態度をとるようになった。

6  以上のとおりの経過であって、本件退学処分について、何ら違法事由は存在しない。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  原告甲山

(一) 原告甲山及び良男について

原告甲山は、小学校四年生のときから柔道を始め、石巻市立住吉中学校在学中も柔道部に所属して副部長を務め、新人戦で三位になったこともあるほか、河南高校へ進学後も柔道部に入り、副部長として一年生の指導に当たっていた。また、中学高校と四年間余り無欠席であり、高校一年生の一年間については無欠席を評価され精勤賞を受けるなど参加意欲の高い真面目な生徒であった。

良男は、中学時代柔道部に所属し、河南高校に入学後も柔道部に入部した。

(二) 柔道部の練習について

柔道は、練習中に気を緩めると骨折、捻挫等の怪我をすることがあり、練習は緊張して行わなければならず、河南高校柔道部でも部活動のルールを守らない者は誰でも先生や先輩に竹刀で尻を叩かれるのが通例であった。武道館には、そのために各学年用の竹刀が置いてあった。柔道部の顧問の教諭も「はたくなら竹刀で気合いを入れろ。」と常々言っており、原告甲山も入部以来竹刀で気合いを入れられてきた。しかし、部活動中の体罰は竹刀によるものだけであり、部員を殴る蹴るということは一切なかった。

柔道の練習の「乱取り」では、学年に関係なく技をかけ合って組み合うので、原告甲山が練習中に良男に対して絞め技をかけ、気絶させることもあった。

一年生は、先輩と組むのを嫌がり前へ出て来ないことがあったので、一年生の指導係である原告甲山は、良男を含む一年生に対し「前へ出ろ。」と言いながら一年生部員の足を蹴ることもあった。そして、練習の中で、マット運動をさせたことはあるが、倒立を強制したことはなかった。

これらは、いずれも武道館内の部活動中のことであり、原告甲山がことさら良男に対し暴行やいじめを行ったわけではなかった。

(三) 原告甲山が良男に対して頻繁に注意を与えたことについて

柔道部では、練習の前に武道館の掃除をすることになっており、掃除は一年生が担当することになっていたが、良男が練習に遅刻するので、原告甲山は、良男に対してしばしば注意を与えていた。しかし、良男は、他の一年生と異なり、何度注意されても遅刻し、そのため柔道部の練習時間に支障が出ることがあった。

原告甲山は、良男に対し、武道館の中で注意を与えるだけでなく、校内で良男を見かけると、「今日も遅れてくんなよ。」と言って注意を与え、その際、手の甲で軽く良男の腹や胸の辺りを叩いたり、肩を組んだりしたことはあったが、他の二年生と組んで良男に対して暴行を加え、いじめたことはなかった。原告甲山が良男に注意を与えたとき、たまたま女生徒を含む二年生数人が居合わせたことがあるにすぎない。

ストップウォッチの紐で良男を引っ張ったときも、部活動が始まっているのに良男が遅れてきて武道館の中に入らず外に立っていたので、「練習やっているから早く来いてば。」と言いながらストップウォッチの紐を良男の首にかけ、対面している良男を軽く引っ張ったにすぎず、同人の首を絞めたりはしなかった。

(四) 処分の端緒となった事件について

原告甲山は、五月の連休明けころの休み時間に校内の踊り場で女生徒を含む友人一〇人ぐらいと雑談していた際、この中の一人である訴外生徒が「絞め技ってどうやんの。」と聞いたので、たまたま通りかかった良男に対し、「ちょっと来て。」と呼び止め、「絞め技やっから。」と言ったところ、同人が少し驚いたような様子を示したものの特に拒否する気配もなかったので、二年一組前の廊下において、同人に対して絞め技をかけた。

五月二六日又は二七日ころ、良男の部活動の遅刻が改まらなかったので、原告甲山は、同人に対して注意をしていたところ、たまたま居合わせた友人の訴外生徒二名が良男に「デコピン」をやったが、原告甲山は、これを止めないで見ていた。また、その際、プラスチック製のごみ箱で、良男に二度殴るまねをしてふざけたことがあるにすぎない。

(五) 原告甲山の反省について

原告甲山の右(四)記載の行為については、部活動以外の時間に、部活動と無関係の場所で行ったものであり、原告甲山は反省している。

また、原告甲山は、五月二九日、学校側から、良男は原告甲山が怖くて学校に行けない旨、また、原告甲山から校内で注意されるときに、二年生が何人かいるところで呼び止められて大変怖かった旨述べていることを聞かされ、初めて良男が自分を怖がっており、学校に行けずに傷ついていることを知り、五月三一日、父親と共に良男宅に謝罪に行き、反省の態度を示した。

(六) 学校側の取調べの状況について

五月二九日、学校側は、午後零時四五分ころ原告甲山を職員室の脇にある応接室に呼び出し、教師一〇名で取り囲んだが、原告甲山が応接室に入室するや否や、菅原和彦教諭が「おめなにやったんだ。」と怒鳴り、いきなり回し蹴りをし、胸の辺りに二、三発パンチを加え、「おめ一年生の秋山(良男)に何やったんだ。」と大声を出した。そこで、原告甲山が校内の廊下で絞め技をかけたこと及び五月二六日又は二七日に訴外生徒二名が良男に対して「デコピン」をした際、これを傍観したことを認め、右両名の名前を挙げた。

その後、午後一時三〇分ころ、原告甲山は、山口聖教諭に相談室に連れて行かれて「調査書」を渡され、「これにおめのやったことを書け。」と言われたので、自分の行ったことを書いたところ、菅原貴浩教諭が右相談室に入ってきて、「なんだおめ、おめだけいい子になるようなことを書くな。」と言い、「HもKもはたいたと言っているんだぞ。うそを言うな。」、「おめ、どんなぐ叩いた。」、「こんなぐが、こんなぐが。」と言いながら、原告甲山の腹を二、三発殴り、「一歩も出るなよ。」と命じた。

菅原貴浩教諭は、最初から原告甲山が集団で良男に対して何回も殴ったり蹴ったりしたと思い込んでいる様子で、原告甲山がこれを否認したり他に一緒にやったものはいないと言うと、テーブルの脚を蹴りつけたり、「なに白切ってんのや。」と怒鳴りつけ、午後六時三〇分ころまで取調べを続けた。このため、原告甲山は、途方に暮れ、やむなく同教諭の意向に沿うように「調査書」を書き直した。

五月三〇日、原告甲山は、二時間目の途中から及川規教諭に尚友館和室に呼び出され、及川教諭と山口教諭から取り調べられた。そして、及川教諭から、「秋山(良男)を叩くのに何回呼んだんだ。」と聞かれ、どうせ本当のことを言っても認めてくれないだろうと思い、「五回」と答えると、同教諭は、「お前ら口裏合わせたべ。」と言い、原告甲山を責めた。さらに、同教諭は「デコピン」「パンチ」「キック」などと記載された一覧表を取り出し、「一人ずつ何回やったか書け。」と言い出し、原告甲山が分からないので躊躇していると、自ら数字を言ったため、原告甲山は、やむなくそのとおりの回数を書き込んだ。

右取調べの際、原告甲山は、及川教諭に命じられて正座をさせられ、取調べ時間は午後一時まで三時間に及んだ。

(七) 五月三〇日の「口裏合わせ」について

五月三〇日の朝、同じ電車に乗り合わせた原告甲山、同乙村及び訴外生徒四名は、前日の取調べの様子について語り合った。しかし、被告が主張するような口裏合わせなどの事実はなく、その必要性もなかった。また、原告丙川及び同丁野は、自転車通学であり、右電車には乗っていなかったから、原告乙村、同丙川及び同丁野らがいじめに関与していなかったことにしようと相談することもあり得ない。

(八) 六月一日の「真実の告白」について

六月一日の一時間目の終了後の休み時間に、原告丁野以外の原告らと訴外生徒五名が集まった際、訴外生徒の一人が「何でこんなに話が大きくなったんだろう。みんなで行って、やったことはやった、やっていないことはやっていないと本当のことを話すべ。」と言い出し、右八名で職員室に赴き、本当は何もしていないことを訴えた。そうすると、ある教諭が「おまえら警察に渡すぞ。そしたら顔写真とられてよお、親が泣くぞ。」と言って告白の撤回を押しつけてきた。

これに対し、原告丙川は、一人真実を貫き、「おれはやっていない。」と訴えたところ、山口聖教諭に胸の付近を靴で蹴り上げられ、廊下の壁まで二メートル近く飛ばされた。

(九) 退学勧奨に関する対応について

原告甲山及びその家族は、学校側から「自主退学しないと在学証明書を出さない。そうすると定時制高校に転校できない。」と脅され、やむなく自主退学する旨の連絡をしたが、その後、それまでの経緯から余りに理不尽な退学勧奨であると考え直し、自主退学はしないこととした。

(一〇) 一年生のときの問題行動について

原告甲山は、一年生のときに同級生に対し暴行を加えたとして教諭から説諭を受けたが、これは、本来指導を受けなければならないような問題行動ではなかったのであり、このほかにも取り立てて問題行動を起こしたことはない。

(一一) まとめ

学校側は、原告甲山の言い分を十分に聞かず、事実調査に当たって原告甲山に殴る蹴るなどの暴行を加え、ありもしない事実を白状させ、良男に対する集団暴行事件やいじめを創作した。

ただ、原告甲山において柔道部の先輩として、また一年生の指導係として職務熱心のあまり良男に対し注意を与えるつもりでとった前記行動が、後輩で、体格も原告甲山より劣る良男にとってはいじめと映り、同人が傷ついたことは事実であり、これに気づかなかった原告甲山には反省すべき点がある。

しかし、原告甲山が同級生八名と組んで集団で暴行やいじめをしたという事実はない。また、原告甲山に前記のとおり反省すべき点があったとしても、請求原因3の(一)の(2)のとおり原告甲山には十分改善の余地があったと認められるから、本件退学処分は、裁量権の濫用として違法である。

2  原告乙村

(一) 良男との関係について

原告乙村は、良男と出身中学が異なるほか、部活動も異なり、六月一日初めて良男に会うまで、その名前も顔も分からなかった。

(二) 学校側の取調べ状況について

原告乙村に対する五月二九日の事情聴取は、午後三時三〇分から午後七時三〇分までの四時間に亘り、五名以上の教諭が同席し、一〇分間の中断以外に休憩時間も与えられずに行われた。その際、原告乙村が関与を否認したところ、数人の教諭から「おまえやったんだべ。」などと言われたり、怒鳴りつけられたりした。原告乙村は、同日の事情聴取において、及川規教諭から、「Mもやったって認めたんだぞ。」と言われ、訴外M某が原告甲山をかばうものと思い、「軽くなら手を出したかもしれない。」と答えたところ、菅原和彦教諭が虚偽の事実を創作していった。また、尚友館に場所を移し、「調査書」を書かされているとき、隣の部屋にいた訴外K某から「エンタカ(原告乙村)もちょうちょをしたと言ってしまったので、話を合わせてくれ。」と頼まれ、「調査書」には「ちょうちょをした。」と記載した。

原告乙村に対する五月三〇日の事情聴取は、二時間目の授業が始まった午前一〇時ころから図書室の隣の部屋で開始されたが、原告乙村は、橋戸孝司教諭からそのまま待つよう命じられたので待っていたところ、午後四時ころまで待たされ、食事も採れずトイレにも行けなかったため、室内の流し台で小用をたした。右待機中に窓から訴外N某、同K及び原告甲山が下校するのを目撃し、同人らに声をかけたところ、訴外Nから「信じねからやったっつった。エンタカも早くやったっつった方がいいぞ。」と言われ、残された自分の扱いが理不尽だと思われた。

午後四時半ころから再開された事情聴取において、原告乙村は、菅原和彦教諭、山口聖教諭のほか二、三名の教諭に囲まれ、こもごも「他のやつはみんな喋って帰ったぞ。」、「Nは男らしかったぞ。」、「うそをついているのはお前一人だ。」、「朝、口裏合わせたべ。」などと一時間ぐらいに亘って何度も言われ続け、その後、及川規教諭には、「調査書」の八行目まで書いた供述内容を信じてもらえず、「まだそんなこと書いてんのか。お前いつまでねばるのや。」などと言われ、真実を話す気力を失い退学しようと考え、「調査書」の続きに及川教諭の言うとおりに「自分はうそをついていた」などと書いた。

「調査書」の作成と前後して「事実確認一覧表」も作成されたが、その際、原告乙村は、及川教諭から口裏合わせに関して執拗に追及されたため、同教諭に迎合して答えた。

(三) 無期停学処分を受けたことについて

原告乙村が、被告主張のころ、校舎の二階のトイレの中で、同級生の顔面を一発拳で殴り、無期停学処分を受けたことがあるが、言いがかりをつけたことはない。

原告乙村は、右処分を受けた日の夜、母と共に被害者宅に謝罪に行き、被害者と仲直りでき、一週間後に停学処分を解除され、その後、如何なる暴力問題も起こしていない。

3  原告丙川

(一) 良男との関係について

原告丙川は、良男と話したこともなく、同人に暴行やいじめを加えたことはない。

(二) 学校側の取調べ状況について

原告丙川に対する五月三〇日の事情聴取の時間、場所及び同席教諭数は、次のとおりである。

九時から一二時三〇分まで 印刷室五名

一三時から一三時五〇分まで 印刷室 五名

一三時五〇分から一四時三〇分まで応接室 五名

一四時三〇分から一四時三五分まで保健室 一名

右事情聴取は、暴行や虚言を用いての誘導を伴う異常なもので、しかも長時間に及んだため、原告丙川は、当初全面否認していたものの、それを維持できなくなり、やむなく教諭に迎合して答えざるを得なくなった。

また、右取調べの後、教諭により「事実確認一覧表」が作成されたが、その際、原告丙川は、教諭から暴言を吐かれ、暴力を受けながら取調べを受けた後であったため、半ば投げやりの状態で教諭の言われるままに答えた。

(三) 五月三〇日の「口裏合わせ」について

原告丙川は、自転車通学であるから、列車の中で行われたとされている右口裏合わせに参加できる筈がない。

(四) 六月一日の「真実の告白」について

原告丙川は、六月一日の朝、事情聴取を受けた仲間と共に職員室を訪れ、本件いじめに関与していない旨訴えたところ、山口聖教諭に胸の付近を靴で蹴られ、後方に倒されたため、もはや真実を訴えても聞き入れられないと考え、やむなく帰宅した。

(五) 退学勧奨に対する対応について

原告丙川の保護者が退学届を提出する旨の電話連絡をしたのは、本件いじめについて第三者に相談する前にまず退学届を提出しておいた方がよいと考えたためであって、その後、一旦退学届を提出したら復学できないことを知り、これを提出しないことにした。

(六) 無期停学処分を受けたことについて

原告丙川は、被告主張のとおり一年生のときに無免許運転の自動二輪車に同乗したことを理由に無期停学処分を受けたことがあるが、自ら運転したのではなく、友人が無免許であることを知らずに単に同乗したにすぎず、また、停学期間は二週間であって、その間積極的に自主勉強等を行い、教師からその努力を評価された。

4  原告丁野

(一) 良男との関係について

原告丁野と良男は、学年も部活動も異なり、交渉を持つ機会は全くなかったため、原告丁野は、良男の名前も顔も知らなかった。

(二) 無期停学処分を受けたことについて

原告丁野は、被告主張のとおり一年生のときに他の生徒に暴行を加えたことを理由に無期停学処分を受けたが、その暴行内容は、殴打と蹴りが一発ずつであり、一週間で停学処分を解除された。そして、停学処分の期間中深く反省し、その後は暴力を振るうなどの問題行動は起こしておらず、学校側から注意や呼出しを受けたこともない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

二本件退学処分の違法性について

1  高等学校の生徒に対する懲戒処分は、教育の施設としての高等学校における内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であって、懲戒権者である校長が生徒の行為に対して懲戒処分を発動するに当たり、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の生徒に与える影響、懲戒処分の本人及び他の生徒に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、校内の事情に通暁し直接教育の衝に当たる者の合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは明らかである(最高裁判所昭和二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁、同裁判所昭和四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁参照)。

もっとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要があると認めるとき」と規定するに止まるのに対し、これを受けた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ、(一)性行不良で改善の見込がないと認められる者、(二)学力劣等で成業の見込がないと認められる者、(三)正当の理由がなくて出席常でない者、(四)学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した者、という四個の具体的な処分事由を定めており、宮城県立高等学校学則二三条二項、宮城県河南高等学校学則一九条二項にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、生徒の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該生徒を学校外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。その趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号、宮城県立高等学校学則二三条二項四号及び宮城県河南高等学校学則一九条二項四号にいう「学校の秩序を乱しその他生徒としての本分に反した者」に該当するものとして退学処分を行うに当たっては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な教育上必要な配慮を要することはいうまでもない。しかし、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該生徒を学校外に排除することが教育上やむを得ないかどうかを判断するについては、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるを得ない。

したがって、生徒の行為に対し退学処分が発動された場合に、同処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められない限り、若しくは、その退学処分の選択が社会通念上著しく妥当性を欠き、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められない限り、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして適法というべきである。

以上の観点に立って、以下本件退学処分が懲戒権者である被告の裁量権の範囲内にあるかどうかについて順次検討する。

2  原告甲山に対する退学処分について

(一)  〈書証番号略〉、証人秋山良男、同佐藤良悦、同橋浦清紀、同菅原和彦、同及川規、同橋戸孝司、同Pの各証言、原告甲山春一、同乙村夏男、同丙川秋郎、同丁野冬二、被告各本人尋問の結果によれば、良男が平成四年四月から翌五月までの間に原告甲山から受けたいじめについて、次の事実が認められる(ただし、右いじめに参加した者のうち原告甲山以外の原告らの関与の有無については、後記3のとおりである。)。

(1) 良男は、平成四年四月に河南高校に入学し、間もなく柔道部に入部してその練習に加わったが、同月下旬ころ、校内にある武道館において柔道部の練習中に「声だし」の練習をしていたところ、原告甲山に右武道館から外のコンクリート部分に連れ出されて絞め技をかけられ、「参った」の合図をしたにもかかわらず絞め続けられたため気を失った。

(2) 翌五月上旬ころ、一時間目の授業終了後トイレに行こうとした際、原告甲山に「秋山、ちょっと来い。」と呼ばれ、二年一組前ホールへ連れて行かれた上、立ったまま絞め技をかけられ、原告甲山の腕を叩いて「参った」の合図をしたが止めてもらえず、絞め落とされた。気がつくと、原告甲山の仲間四、五人が周囲に立って笑っていた。

同じころ、部活動の始まる前の着替えの際、柔道部の部室において、原告甲山から平手と拳で十数発殴られた。そのため、口の中を切り、食事が自由にできなかった。なお、右傷害が全治するまでに約一週間を要した。

(3) 五月の連休明けころから同月下旬ころまでの間に二日に一度ぐらいの頻度で、休み時間に、偶然原告甲山ほか四人ないし六人の生徒と二年一組前ホールで出会ったり、あるいは同所に呼び出された際、原告甲山らに取り囲まれて「ため口を聞くな。」などと文句をつけられた上、頬を殴られたり、足を蹴られたりした。

(4) 柔道部の部活動中、原告甲山から理由もなく腕や大腿部を竹刀で殴られることが何度もあり、そのために痣が生じた。

(5) 五月のある金曜日、柔道部のランニングの練習終了後、武道館の外のコンクリート部分において、原告甲山から後転倒立をやるよう命じられたが、これに従わなかったところ、拳より大きな石で頭を叩かれた(ただし、その強さはさほど強いものではなかった。)。そこで、やむなく後転倒立をしたところ、今度は倒立前転をやるよう命じられたが、再度拒絶するや背後からストップウォッチの紐で首を絞められた。このままでは気を失うと思い、必死で両手の人差し指を首と紐の間に入れたところ、原告甲山は力を緩めた。その際、首に痣が生じた。

(6) 五月二五日ころ、柔道部の練習中寝技の練習をしていたところ、原告甲山から絞め技をかけられ、「参った」の合図をしたにもかかわらず止めてもらえなかったため気を失った。

(7) 五月二七日の昼休みに教室で友人と話をしていた際、二年生の生徒から呼び出されて二年一組前ホールへ行ったところ、原告甲山ほか五、六名の生徒がおり、原告甲山から「気をつけしろ。先輩に何か言うことはねえのか。挨拶をしろ。」と言われて黙っていると、右ホールの柱と柱の間にある窪みに入れられ、「気をつけして動くな。」と命じられたが、少し動いたため、原告甲山及び周囲にいた二年生二、三人から「デコピン」を二〇発くらい受けた。そして、「やめて下さい。」と言ったが、さらに「デコピン」を五、六発受けた上、原告甲山以外の者からみぞおちの辺りに強い膝蹴りを一回加えられた。その後、自力で柱の間から出たものの先輩が怖いので逃げきれないでいたところ、原告甲山からプラスチック製のごみ箱の底で二回殴られ、三回目に殴られそうになった際に良男の同級生が止めに入ってくれたため、教室へ逃げ帰った。その日は、部活動に参加せずに帰宅し、母親に初めて本件いじめについて話し、「もう学校へ行きたくない。あいつら半端じゃないんだ。」と興奮して叫んだ。

(8) その他、原告甲山から、自分の口調をまねされてからかわれた。

(9) 以上のいじめにより、良男は、「死にたい」「加害者を殺してやりたい」と思うほど精神的にも深く傷ついた。

(10) 五月二九日、学校を休み、良男の母親からその連絡を受けて良男宅を訪問した担任の橋浦清紀教諭に対し、これまで受けたいじめについて、報復が怖かったので先生には気付かれないよう故意に明るく振る舞っていたことなどを話した。

なお、本件いじめは、加害者が多数である上、良男にとっては入学後間もない時期における出来事であること、加害者の中で良男と具体的なかかわりがあるのは原告甲山のみであること、良男は、極度の近視(右0.09、左0.08)であって、至近距離でなければ人の顔の識別が不可能であり、また、いじめのときに眼鏡を壊されるのを恐れて、いじめを受けそうな場合には眼鏡をはずしていたことなどの事情により、原告甲山以外の加害者を特定するのが困難な状況にあった。このため、良男は、橋浦教諭に対して原告甲山以外の加害者の名前を言えず、容貌についても特定できなかった。

以上の事実が認められ、〈書証番号略〉及び原告甲山春一本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲採用証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

付言するに、原告甲山は、「良男はしばしば柔道部の練習に遅刻したので、これを注意するつもりで、手の甲で軽く良男の腹や胸の辺りを叩いたりなどしたことがあったが、他の二年生と組んで良男に対して暴行を加えいじめたことはない。」と主張する。しかし、証人秋山良男の証言によれぱ、良男は、多少柔道部の練習に遅刻したことがあったが、農業の実習、掃除、特別教室からの移動等のために遅刻したのであって、右遅刻について良男自身に責められる点はなかったことが認められる。

また、被告は、「原告甲山は、他の原告ら三名並びに同学年の訴外H某、同K某、同M某、同N某及び同P(以下「訴外生徒五名」という。)と共に、五月六日から同月二七日までの間に、良男に対し、ちょうちょを一回した。」と主張し、原告ら四名及び訴外Hの各「事実確認一覧表」(〈書証番号略〉)並びに原告甲山等の各「調査書」(〈書証番号略〉)中には右主張に符合する部分がある。しかしながら、〈書証番号略〉、証人橋浦清紀、同秋山良男の各証言によれば、良男自身、学校側の事情聴取及び証人尋問において、加害者の人数は集団のときは三、四人ないし五、六人であり、「ちょうちょ」をされた覚えはない旨供述していることが認められるから、右認定事実に照らすと、前記「事実確認一覧表」及び「調査書」中の被告の主張に符合する部分は採用できず、他に原告甲山らが良男に対し「ちょうちょ」をしたことを認めるに足りる証拠はない。

(二) 前記認定に係る原告甲山の暴行の態様、程度及び場所、良男の部活動への参加状況等にかんがみると、原告甲山の良男に対する前記一連の行動が、柔道部の部活動の一環として、あるいは、部活動に遅刻したことを注意するために行われたとは到底認められないところ、前記認定のとおり、良男は、河南高校入学直後の四月下旬ころから約一か月間、自己に何ら落ち度がないにもかかわらず、同校の二年生であった原告甲山及びその仲間から多数回に亘り生命にかかわるいじめを受け、肉体的にも精神的にも著しく傷ついて登校を拒否し自殺まで考えるに至ったのであり、しかも、原告甲山は、本件いじめに終始関与した上、主導的役割を果たしたのである。

さらに、前掲採用証拠によれば、原告甲山は、本件いじめの開始時からわずか三か月前の平成四年一月ころにも、同級生に対し、「やめてくれ。」との頼みも聞き入れずに気を失いそうになるまで首を絞めつける問題行動を起こし、教諭から他人の痛みが分かるようにならなければいけない旨の説諭を受けていたこと、河南高校においては、「他人の痛みが分かる生徒作り」を生徒指導の重点目標の一つに掲げ、教職員、保護者及び生徒が一体となって「真面目な生徒達が安心して学校生活を送れる学校」を作りあげてきていたこと、原告甲山は、六月一日、他の生徒と共に職員室に赴き、良男に対していじめを行っていない旨訴えるなど、無反省な態度をとり、その後、学校側が六月一〇日に行った退学勧奨にも応じなかったこと、以上の事実が認められる。

(三) 原告甲山は、小学校四年生のときから柔道を始め、中学校及び河南高校においても柔道部に所属して副部長として活躍し、また、中学から高校一年生までの四年間無欠席で、高校一年生のときに精勤賞を受けたことがあり(これらの事実は、前掲採用証拠のほか〈書証番号略〉により認められる。)、右事情は、原告甲山の平素の行状において評価できる点であるが、しかし、前判示の諸般の事情を総合して勘案すると、被告において、本件いじめ行為について原告甲山が「学校の秩序を乱しその他生徒としての本分に反した者」と認定評価し、たとえ原告甲山に関する前記認定の有利な事情を考慮して同人について十分な教育上の配慮をしたとしても、事件の再発防止、被害者の安全確保、学校内の規律維持、前記河南高校の教育目的の達成等の見地から、同人を学校外に排除することが教育上やむを得ないと認めて退学処分を選択したことは、社会通念上著しく妥当性を欠き、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものとはいいがたく、結局、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして適法というべきである。

なお、原告甲山らが良男に対し「ちょうちょ」をしたことを認めるに足りる証拠のないことは前記のとおりであるが、前記認定に係る原告甲山の良男に対する暴行の態様、程度等前判示の諸般の事情にかんがみると、右「ちょうちょ」に関する点が前記原告甲山に対する本件退学処分の適法性の判断に消長を来すものでないことは明らかである。

また、原告甲山は、本件退学処分について手続的違法及び処分の不均衡・不公正がある旨主張するが、右処分が違法と評価し得る事実は認められない(高校生の非行があった場合、当該高校がその調査を行うに当たっては、警察等の捜査機関に要求される厳格かつ精密な調査方法が要求されるものでないことはいうまでもない。なお、原告甲山は、右処分前に行われた事実調査の際に、河南高校の教諭から前記被告の主張に対する原告甲山の反論の欄記載の暴行を受けた旨を主張し、〈書証番号略〉及び原告甲山本人尋問の結果中にはこれに符合する部分があるが、右部分は、前掲採用証拠に照らして採用できない。)。

したがって、原告甲山の右主張も理由がない。

(四)  以上のとおりであるから、原告甲山に対する本件退学処分は適法である。

3  原告乙村、同丙川及び同丁野に対する退学処分について

(一)  被告主張の良男が受けたいじめのうち原告乙村、同丙川及び同丁野に関するものについては、二年一組前ホールにおいて、(a)平成四年五月中旬ころ、原告甲山が良男を絞め落としたとき、これをはやしたて、周囲にいて笑って見ていたこと、(b)同年五月の連休明けころから同月下旬ころまでの間に、「ちょうちょ」を一回したほか、二日に一度の頻度で多数回に亘り殴ったり蹴ったりしたこと、(c)同月二七日の昼休みに、「デコピン」等の暴行を加えたこと、以上のように大別される。

(二)  ところで、本件いじめに関する原告乙村、同丙川及び同丁野の供述の変遷についてみるに、前掲採用証拠によれば、右原告らは、いずれも、本件いじめが発覚した直後の五月二九日及び翌三〇日に行われた学校側の事情聴取において、当初本件いじめへの関与を否定し、その後、関与の事実のみならず右三〇日朝に口裏合わせをしたことをも認めるに至ったが、六月一日には、原告乙村及び同丙川は、原告甲山及び訴外生徒五名と共に職員室に赴き、自分達は良男に対していじめを行っていない旨訴え、原告乙村、同丙川及び同丁野は、同日再度いじめへの関与を否定し、以後現在に至るまでその態度を継続していること(ただし、原告丁野は、同日再び供述を翻して本件いじめへの関与を肯定する供述をしたことがある。)が認められる。

そして、被告は、右原告らの自白はいずれも自己の心情を吐露しており信用できる旨主張するのに対し、右原告らは、右自白は事情聴取に当たった教師らが暴行、虚言を用いた誘導、複数の教師による威圧、長時間に亘る監禁等によりなされたもので信用できない旨主張する。

(三)  そこで、以下、右各事情聴取において作成された原告ら及び本件いじめについて無期停学処分を受けた訴外生徒五名(訴外生徒五名が本件いじめについて無期停学処分を受けたことは、当事者間に争いがない。)の各「調査書」(〈書証番号略〉)及び及川規教諭作成の「事実確認一覧表」(〈書証番号略〉)の内容の信用性について検討しつつ、原告乙村、同丙川及び同丁野が本件いじめに関与したかどうかについて判断する。

(1) まず、前記(a)及び(c)の各いじめについて判断する。

右各乙号証、殊に、原告乙村、同丙川及び丁野の「調査書」には、同人らが前記(a)及び(c)の各いじめに関与した趣旨の記載がないことのほか前掲採用証拠を総合すると、原告ら四名及び訴外生徒五名は、それぞれ、出身中学校や高校一年生当時のクラスが同じであり、あるいは、高校一年生当時体育の授業を一緒に受けていたなどの共通点があり、また、原告丙川及び同丁野を除く七名は、朝の通学列車が同じであったため、二年生になってからも行動を共にすることが多く、しばしば休み時間に二年一組前ホールに集まっていたこと、しかし、前記(a)のいじめの際、原告甲山が良男に絞め技をかけるのをはやしたて、周囲にいて笑って見ていたのは、訴外生徒五名のみであったこと、前記(c)のいじめの際、「デコピン」等の暴行を加えたのは原告甲山、訴外H及び同Kの三名で、原告丁野及び訴外Nは周囲で面白がって見ていたが、原告乙村、同丙川及び訴外Pは、二年一組前ホールの別の位置に集まり、座って話をしていたこと、以上の事実が認められる。

なお、訴外H及び同Mの前記各「調査書」中には、前記(a)のいじめの際、原告ら四名及び訴外生徒五名全員がその場にいた趣旨の記載があるが、証人秋山良男の証言及び〈書証番号略〉(良男の供述書)によれば、その際周囲にいた者は四、五人であったことが認められるから、右認定事実に徴すると、右各記載部分は採用できない。

また、原告丁野の前記陳述録取書(〈書証番号略〉)及び原告丁野本人尋問の結果中には、同人は前記(c)のいじめに関与していなかった旨の部分があるが、他方、〈書証番号略〉によれば、同人は、高橋功教諭から事情聴取を受けた際、良男が「デコピン」をされて涙を溜めているのを見たと供述したことが認められること、その他前掲採用証拠を併せ考えると、前記(c)のいじめへの関与を否定する右部分は採用できない。

そして、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 次に、前記(b)のいじめについて判断する。

前記(b)のいじめに関する原告乙村、同丙川及び同丁野の前記「調査書」及び「事実確認一覧表」の記載についてみるに、原告乙村については、「調査書」には「ちょうちょを一回した」「一ないし三発くらい手を出した」「二ないし五発叩いた」との記載と、これと相反する「暴行はしていない」との記載があり、他方、「事実確認一覧表」には「参加10/10、パンチ毎回、ちょうちょ一回」「自分はパンチを出した気持ちはないが、やったかもしれないが、やらなかったかもしれない、よく覚えていない、ブッたおす気はなかったがパンチを出したことはある、5〜6パツ」と記載されており、原告丙川については、「調査書」には「二回囲むのに参加した」とだけ記載されているが、「事実確認一覧表」には「パンチ五、六発、ケリ二、三発、ちょうちょ一回」と記載されており、原告丁野については、「調査書」には「良男を一〇回位呼んで、パンチ、ケリ、ちょうちょをした」と、「事実確認一覧表」には「参加10/10、パンチ五、六発、ケリなし、ちょうちょ一回」と記載されており、その記載内容は一定していない。

そして、良男に暴行を加えた人数や暴行の内容をみても、原告甲山、同丁野及び訴外Hの「事実確認一覧表」(〈書証番号略〉)並びに原告甲山及び訴外Hの「調査書」には、原告ら四名及び訴外生徒五名全員がほぼ毎回良男に暴行し、「ちょうちょ」も一回した旨の供述記載部分がある一方、訴外Kの「調査書」には、原告甲山、訴外H及び同Kの三名のほか原告乙村が暴行した旨記載され、訴外Mの「調査書」には、右四名のほか訴外M及び同Nも暴行した旨記載されており、また、訴外Pの「調査書」には、暴行した者に関する記載内容が変転し、最終的に「ちょうちょ」以外の暴行は原告甲山、訴外H及び同Kの三名のみが行った旨記載されており、訴外Pは、証人尋問において、「ちょうちょ」が行われたことは否定する旨証言をしている。

右のとおり、原告ら四名及び訴外生徒五名の「調査書」及び「事実確認一覧表」中の前記(b)のいじめに関する記載部分には、相互に食い違う部分が多い。

そもそも、被害者である良男自身の学校側の事情聴取及び証人尋問における供述、すなわち、前記認定のとおり集団でいじめが行われたときの参加者の人数は三、四人ないし五、六人であり、「ちょうちょ」をされた覚えはない旨の供述、とも明らかに食い違っている部分のある「調査書」及び「事実確認一覧表」は、信用性に疑問がある。

さらに、前掲採用証拠によれば、前記(b)のいじめが行われた場所は、二年一組前のホールであり、その場所的関係からみて、一般生徒も容易に右いじめを目撃し得たことが認められるが、原告乙村、同丙川及び同丁野が良男に暴行を加えたことを目撃した第三者に関する証拠もない(「一年七組のクラスメイトの証言」と題する書面である〈書証番号略〉によっても、右暴行の事実を認めることはできない。)。

右諸事情のほか、原告乙村、同丙川及び同丁野の前記供述の変転等にかんがみると、原告ら四名及び訴外生徒五名の「調査書」及び「事実確認一覧表」からは、前記(b)のいじめが行われた際、原告乙村及び同丁野が良男に対し手出しをした可能性があることは否定できないものの、原告乙村、同丙川及び同丁野の良男に対する暴行の事実を未だ確定することはできず、他に右暴行の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

(3)  以上の検討結果及び前掲採用証拠、さらには、本件退学処分に付される以前において、原告乙村、同丙川及び同丁野並びにその保護者らが、良男又は学校側に対し本件いじめについて謝罪の意思を表明したことがあること(右事実は、前掲採用証拠により認められる。)を総合して考察すると、結局、被告主張に係る前記(a)ないし(c)のいじめに関する原告乙村、同丙川及び同丁野の関与の事実については、前記(b)のいじめの際に原告乙村、同丙川及び同丁野が、前記(c)のいじめの際に原告丁野が、いずれも周囲で付和雷同的に面白がって見ていたことは認められるが、前記(b)のいじめの際に原告乙村、同丙川及び同丁野が周囲で見ていた回数は明らかではなく、その他の被告主張の事実を認めるに足りる証拠はないものといわざるを得ない。

なお、前記各「調査書」、原告ら四名各本人尋問の結果、〈書証番号略〉(原告ら四名の陳述録取書)中、原告乙村、同丙川及び同丁野が本件いじめに全く関与していない旨の部分は、前掲採用証拠に照らして採用できない。

(四) ところで、前掲採用証拠によれば、原告乙村は、本件いじめよりも約六か月前の平成三年一一月八日、トイレの出入口付近ですれ違っただけの他の生徒に対し、「足を踏んだ」と言いがかりをつけ、同人の顔面を殴打して鼻を潰し、約二週間を要する傷害を負わせたこと、原告丙川は、同年一一月四日深夜、無免許運転の四〇〇ccの自動二輪車に同乗して集団暴走行為をし、パトカーの制止を振り切って逃走した上、その関与が発覚するまでこれを否認し続けたこと、また、原告丁野は、平成四年二月三日、他の生徒一名と共に名前も顔もよく分からない生徒をトイレに連れ込み、他の生徒から暴行を受けて鼻血を大量に流している被害生徒に対しさらに殴る蹴るなどの暴行を加えた上、この事実を隠蔽するため、床に溜まった鼻血をモップで拭き消したほか、学校側の事情聴取に対しては当初否認し、追及されてようやく事実を認めたこと、そして、右原告ら三名は、右各非行についていずれも無期停学処分を受けたことがあるのみならず、日常の学校生活の面でもしばしば教師から注意を受けていたことが認められ、これらの点は本件いじめについて懲戒処分を決定する上で考慮されてしかるべきものである。

しかしながら、前記認定のとおり、本件いじめは長期間に亘り行われた悪質かつ生命の危険を伴うものであるが、その主導的役割を果たした者は原告甲山であり、他に積極的に暴行行為に及んだのは訴外H及び同Kであって、原告乙村及び同丙川は前記(b)のいじめに、原告丁野は、前記(b)及び(c)の各いじめに、いずれも周囲で付和雷同的に面白がって見ていた態様で参加したことがあるにすぎないのみならず、前記(b)のいじめへの参加回数は明らかではない。

叙上の諸般の事情、特に、被告が原告乙村、同丙川及び同丁野に対し本件退学処分を付したことについて処分事由として主張する事実、すなわち、良男に絞め技をかけて気絶させるいじめに関与し、かつ、良男に対し、殴打し(多数回、一回につき五、六発)、「ちょうちょ」(一回)及び「デコピン」(多数発)をするなどの暴行を加えた事実のうち、本件証拠により認められる事実は前記(三)において認定した限度に止まることのほか、前判示のとおり、退学処分は、他の懲戒処分と異なり、生徒の身分を剥奪する重大な措置であるから、当該生徒を学校外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、退学処分を行うに当たっては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な教育上必要な配慮を要することにかんがみると、原告乙村、同丙川及び同丁野について認められる本件いじめへの関与の程度が前記限度に止まることを前提とする限り、右三名に対して退学処分をもって臨むのでなければ、河南高校の教育方針を損ない、他の生徒に対する訓戒的効果を失わせ、河南高校の教育上看過できない悪影響を及ぼすことになるとはたやすく認められず、したがって、右三名に対する退学処分は、いずれも社会通念上著しく妥当性を欠き、懲戒権者である被告に任された裁量権の範囲を超えるものといわざるを得ない。

(五) 以上のとおりであるから、原告乙村、同丙川及び同丁野に対する本件退学処分は、いずれも違法といわなければならない。

三よって、原告甲山の本件退学処分の取消しを求める請求は、理由がないから棄却し、原告乙村、同丙川及び同丁野の本件退学処分の取消しを求める請求は、いずれも理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官飯田敏彦 裁判官片瀬敏寿 裁判官後藤充隆)

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